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解釈改憲における『「基本的な論理」の捏造』を徹底追及!
本日、外交防衛委員会において、安倍総理の解釈改憲の重要なからくりの一つである『憲法9条解釈の「基本的な論理」の捏造』の問題について徹底的な追及を行い、7.1閣議決定における「基本的な論理」が詐欺的な手法により捏造されたペテンの論理であることを立証し、解釈改憲が違憲無効であることを証明致しました。
「集団的自衛権の行使は、憲法9条において解釈変更の余地すらなく、従って、憲法9条の条文を変えない限り不可能である」という見解が、7.1閣議決定以前に確立していた政府の憲法9条解釈でした。
にもかかわらず、なぜ、7.1閣議決定において集団的自衛権行使が可能になったのか。その理由は、以下の三つの「からくり」の強行によるものです。
①一見すると非武装を命じているかのように見える憲法9条において、集団的自衛権行使を容認するために必要不可欠な「立法事実(※)のでっちあげ」
②憲法前文の平和主義等の本来の憲法9条解釈の「基本論理の切り捨て」
③「本来の憲法9条解釈の基本論理」ではない「基本的な論理」なる「論理の捏造」
※ 立法事実:①我が国に対する武力行使が発生していない集団的自衛権の状況で死んでしまうことになる日本国民の存在、②仮に①のような日本国民が存在するとしてそれを救うために集団的自衛権行使しか手段がないことの二つの社会的事実 (これらは、7.1閣議決定の新三要件の第一、第二要件そのものである)
解釈改憲は、法令解釈の名に値しないクーデター改憲であるため、あらゆる箇所から血が噴き出しているお化けのような代物であります。
上記の①~③はどれも、解釈改憲の心臓部に当たる問題ですが、①、②については先の臨時国会(及び安倍総理に対して3月20日予算委員会)で徹底的に追及を行い、本日、残る③について全国会議員の中で初めて国会で追及を行いました。
※①、②の内容についてはこちらの「解釈改憲からくり図解」をご参照下さい。
この③の手口は、「7.1閣議決定の下敷きとされた昭和47年政府見解の中に、実は、始めから集団的自衛権行使が容認されていたと理解する!」という、詐欺というには余りにもひどい「論理の捏造」であります。以下に、分かりやすくご説明いたします。
■7.1閣議決定における「基本的な論理」が捏造された論理であることの説明
○ まず、HPに掲載の配付資料「③A」の末尾にある昭和47年政府見解の各段落の要旨を分かりやすく説明すると、以下のようになります。
・ 戦争の放棄などを定めた憲法9条は一見すると我が国は非武装であることを命じているように見えるのだけれども、国民の生命そのものが危険にあるような場合に、それを守るための必要最小限度の戦いまでは放棄していないと考えられる。
・ しかし、戦いができるからといって何でもできる訳ではなく、憲法前文に定めた三つの平和主義の考えの制限に服するようなかたちでしか戦いはできないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって日本国民の生命などが根底から覆される場合に、その日本国民を守るためにやむを得ない戦いのみが許され、その戦いの程度も必要最小限度のやり方でなければならない。
・ そうだとすると、日本国憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害、(=我が国に対する外国の武力攻撃)に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
○ さて、ここで安倍内閣が強行した論理の捏造とは、上記の第二段落の「外国の武力攻撃によって」の前に「我が国に対する、または、我が国の同盟国に対する」という文言を入れて「我が国に対する、または、我が国の同盟国に対する外国の武力攻撃によって」という意味に解釈するということです。
○ つまり、「・・・あくまで外国の武力攻撃によって日本国民の生命などが根底から覆される場合」という文章の意味を普通に考えると、「・・・あくまで我が国に対する外国の武力攻撃によって」と考えるはずのところを、そうではなくて、「・・・あくまでも我が国の同盟国に対する外国の武力攻撃によって」という考え方もこの文章の読み方としてあり得るのであり、それら両方の考えからなるものこそが、昭和47年政府見解の正しい解釈の仕方であり、それによって昭和47年当時から7.1閣議決定を経て現在に至るまで構成されているとするものが憲法9条解釈の「基本的な論理」なるものだ、と言っているのです。
○ なんだかややこしいように思われるかも知れませんが、要するに、昭和47年見解の「外国の武力攻撃によって」には何の修飾語も付いていないので、だったら、当然に意味としては付いていると考えられる「我が国対する」という修飾語以外に、「我が国の同盟国に対する」という修飾語ももともとも意味としては付いているのだと考えることにすると言っているのです。(俗な言い方をすれば、「ダメ!と書いていないのだから付け加えてもいいだろ!」と言っているのです。)
○ いずれにしても、「我が国の同盟国に対する外国の武力攻撃によって日本国民の生命などが根底から覆される場合」というのは、まさに集団的自衛権の局面でありますので(7.1閣議決定の新三要件の文言そのものです)、とすると、昭和47年政府見解にはもともと集団的自衛権の行使が概念として含まれていたのであって、その集団的自衛権の行使を概念として含む憲法9条の「基本的な論理」の下では、当然に集団的自衛権の行使も認められるのだと言っているのです。
○ 以上、この昭和47年政府見解についての「横畠解釈」(この解釈を生み出した横畠内閣法制局長官の御名前から名付けました)が成り立つためには、以下のことが成立する必要があります。
・昭和47年政府見解を作成した当時に、憲法9条の解釈として「我が国は集団的自衛権の行使が実はできるのだ」という認識が当時の政府にあったこと
・そうした認識の下に、敢えて何の修飾もない「外国の武力攻撃によって」という表現ぶりにしたこと
○ 要するに、昭和47年見解作成時において、集団的自衛権の行使は憲法9条の下では現時点ではできないのだ(昭和47年見解の第三段落部分、つまり、当該見解の帰結(あてはめ)部分)としながら、実は、将来において集団的自衛権行使が許容される可能性を残しておいたのだということになります。
○ ところが、日本国憲法制定以来、7.1閣議決定までの歴代政府の憲法解釈は「我が国に許される武力行使は、我が国に対する外国の武力攻撃に対処する必要最小限度の武力行使のみであり、集団的自衛権行使は解釈変更の余地すらなく、条文改正しか可能とする手段はない」というものでした。
○ 従って、「実は、昭和47年見解には、集団的自衛権の行使が容認されていた」というような解釈が成り立つはずがありません。
「横畠解釈」が、たまたま、昭和47年政府見解の「外国の武力攻撃によって」という文言に何の修飾も付いていないことにつけ込んで、本来あり得もしない、「我が国の同盟国に対する外国の武力攻撃によって日本国民の生命などが根底から覆される場合」という集団的自衛権行使を概念的に含むと解釈する「基本的な論理」なるものの捏造を行ったことについて、以下のような様々な観点から厳しく追及し、その悪巧みを論破致しました。
・ 横畠長官は、彼の先輩である歴代の内閣法制局長官から、誰一人として、「横畠解釈」のような考え方を聞いたことがないこと。また、内閣法制局の内部に「横畠解釈」の根拠となるような資料(昭和47年当時から)は何も存在しないこと。
⇒ これにより、「横畠解釈」が横畠長官によって初めて生み出されたものであり、法理論として何の正当性もない代物であることを明らかにしました。
・ 昭和47年見解以前の政府解釈は「集団的自衛権の行使は憲法の条文を変えない限りできない」というものであり、昭和47年見解が「実は、集団的自衛権の行使を概念として含んでいる」というようなものであることはあり得ないこと。
・ 昭和57年に行われた当時の角田内閣法制局長官の昭和47年見解をなぞった答弁において、修飾語のない「外国の武力攻撃によって」という文言が「我が国に対する外国の武力攻撃によって」の意味であると理解するとともに、それが故に昭和47年見解の第三段落の引用においては「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、」という文言を用いないで答弁をしていること。
⇒ 要するに昭和47年見解以降の内閣法制局長官も「我が国に対する外国の武力攻撃」という意味に理解していたのです。横畠長官はこの角田答弁を否定することができず、この瞬間に横畠解釈は崩壊しました。
・ 昭和47年以前の昭和43年の高辻内閣法制局長官の答弁において、「先制攻撃の実質がある自衛のための武力行使」は憲法9条において許容されないとされており、こうしたいわゆる先制攻撃が禁止されていると考える当時の内閣法制局が「(いわゆる先制攻撃の実質を有するものである)集団的自衛権の行使が概念的に含まれている」というような見解に立って、昭和47年政府見解を作る訳がないこと。
・ 憲法9条においては、集団的自衛権の行使は解釈変更の余地すらなく(平成16年秋山内閣法制局長官答弁)、当然に、憲法の条文改正以外にそれを可能とする手段はない(昭和58年角田内閣法制局長官答弁等)という確立した歴代政府の憲法9条解釈からは、「憲法9条解釈の「基本的な論理」の中に集団的自衛絵権の行使が概念として含まれている」などという主張が成り立つ余地はあり得ないこと。
⇒ 言い換えると、憲法9条解釈の基本論理においてどのようにしても集団的自衛権行使を可能とすることは論理的にできず、故に、条文の論理構造そのものを変える唯一の手段である憲法改正でしか集団的自衛権の行使は可能とすることができないとしていたのだから、憲法9条解釈の「基本的な論理」なるものの中に始めから集団的自衛権の行使が概念として含まれているという横畠解釈は論理破綻そのものである。
・ 昭和29年参議院本会議における「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」においては、集団的自衛権の行使である自衛隊の海外出動(海外派兵)はこれを許さないと決議され、かつ、その趣旨説明において、「自衛とは、我が国が不当に侵略された場合に行う正当防衛行為であつて、それは我が国土を守るという具体的な場合に限るべきものであります。」として国会として憲法9条解釈は正当防衛の局面(=個別的自衛権)以外には許されないとして明確に集団的自衛権の行使を解釈として排除するともに、「憲法の明文の拡張解釈の危険を一掃するために本決議を採択する」とされていること。https://w2.konishi-hiroyuki.jp/p1805/
⇒ この本決議はその後も平成20年代に至るまで繰り返し数十回にわたり参議院において自衛隊法改正等の審議の際にその趣旨が確認されてきたものであり、従って、昭和47年見解の作成にあたり「集団的自衛権の行使を概念として含ませる」ようなことが政府と国会の関係で許されると考えるはずはない。
なお、本決議にもかかわらず、7.1閣議決定に際しては、横畠長官は本決議の趣旨を無視しそれを蹂躙して「横畠解釈」を作り出している。
○ 横畠長官は、これらの私の全ての質問に対し、何一つまともな答弁をできず、誤魔化しの答弁に終始しました。「基本的な論理」なるものの説明を求められて、何の論理性もない誤魔化しでしか説明できないということは、「基本的な論理」なるものが実は論理破綻していることの証明以外の何物でもありません。
○ 以上のことから、7.1閣議決定における集団的自衛権行使を許容した「基本的な論理」なるものは法令解釈の名に値しない「論理の捏造」そのもののであり、7.1閣議決定は違憲無効のクーデター改憲であることが立証されました。
○ 最後に、問題は、如何に論理を突き崩すことができても、それが社会的に共有され、国民の皆さんの声にならない限りは安倍総理の解釈改憲は阻止できないと言うことです。
安倍総理の解釈改憲が、「事実のでっち上げ」と「基本論理の切り捨て」と「論理の捏造」から成り立っている暴挙であることを、多くの国民の皆様に御理解を頂けるよう、引き続き努力して参ります。
2015年3月24日
参議院議員 小西洋之